2021.11.14
今日も軽やかな天気でこんなときはウキウキしてしまいます
が、まだ神経の痛みがチラチラあるかな
パブロは体力も落ちたか、池袋までがせいぜいで、
最近は頑張っても荻窪までは来れないことが多くなりました
パンデミックがだいぶ収束に近いということで、
今日は荻窪商店街でもマスクなしの人をチラホラ見かけました
今回から教会の参加許可範囲も増えたし、
参加してのキャンドルサービスもクリスマスパーティーも
計画されてるし、
もちろん、ウチは感染防止うるさいですよ
介護関係者多いし看護師もいるし、
インフルワクチンメーカー勤務の人もいる。何事も慎重です。
パーティーとなると、パブロ、これから張り切って来そう
ただね、中華料理で定食もあって、
奥の間にある回転テーブルも気軽に使えて
フルコースも出してくれて、長年親しまれた新京が
なくなったのは寂しいな
今日は子供たちを祝福する子供祝福式というのがありました
今まで来れなかった子供たちも沢山参加。
みんなで子供たちの成長をお祝いし、
子供たちは嬉しい物をもらって帰るんです。
今日のメッセージもそれにちなんだ内容でした。
マルコによる福音書10章13-16節
どこでも良くあることですね
弟子たちはイエスが忙しすぎなのを思って
親子を退けたんでしょうが、
高貴な人が来たならどうだったか
それを思うと子供たちを多少軽く見てた気がします
それを見たイエスは憤られました。
イエスは子供だからといって憤られたわけではないです。
一般的には子供は無垢だと思われるけど、
子供たちも自我を張ってケンカもするし、自分の正当化のために
ウソついたりもします。
違うのは、子供たちは大人を見て、
自分の知らないことがある、自分にはできないことがある、
自分は大人が頼りだと自覚してるんです
それが大人になるにつれて、
すぐあとに何が起こるか判らないのに
自分たちで人生を切り開けると思い込んだり、
何でも知ってる、自分が正しいと思い込んだりするんですね
イエスが言われたのは
「子供のようにへりくだりなさい。」
と言われたんです。
そして、子供たちも大切な人々として愛された。
わたしもそんなときがありました
子供は大人の管理の元にあるという考え方が普通で、
子供は大人に強制的にへりくだらされて、
大人は強制的に権威を持たされました。
そして、強制的に女性と男性の家庭内での役割は決められてて、
母が友だちを家に招くのは
嫁入り先なんで簡単にはできないけど、
父が友だちを招いたときは女性は裏方で
家庭料理を作って接待しなければならなかったです
一方では兄は知らない人たちの前に引き出されて緊張に次ぐ緊張。
そんな時代だったけど、父は必ずわたしと妹のご馳走も
用意してくれてましたわたしは兄の気持ちが解らず、
父と友だちの楽しそうな会話が羨ましかったけど、
父はわたしがホントに求めてるもの、
平等な扱い、つまり豪華な食べ物で兄たちとの差別を感じる
わたしの気持ちを気遣ってくれたんです
それまでの時代は子供も女性と男性のお手伝いとして
役割にはめられてたのに、
決してわたしたちを大人の下のお手伝い扱いせずに
その気持ちを汲んでくれたんですね。
親の愛は神様の愛を表してると言われてるけど、
ホントにそうだなあと思いました。
今日は東京22人、大阪18人、全国197人。
今は兄が一時帰国してて、自粛期間は終わったけど、
まだ自由ではないです用が終わったらさっさと帰国しないと。
あちらも大変ですからね。
夕日に照らせれてるけど、赤松ではないですよ。黒松です。
トルコの飲み物ラキ、ブドウから作るそうです
飲んでみて、「ん、40°はあるかな」
「45°です。」「45°」
これはグッドタイミング
ブドウのドリンクの発祥が聖書に書かれてるんで、
ここから聖書の話しました。