2027.05.07
いや、結論を先に言えば
帰りも安く済ませようと高速バスを予約してたけど、
時間を勘違いしてて忘れてました
新幹線使えないかも含めて検索したけど
7時以降はとても無理無理
結局は広島駅前のアパホテルに1泊追加で
明日帰京します😅
今日ボケボケしながら
「広島平和記念資料館に2時までに行かなくちゃ」と
新神戸駅まで急ぎました
何度も神戸からの帰京に利用した新神戸駅、
神戸六甲山の麓にあるので、
駅の片方の窓から見える景色は山の麓
ってのは覚えてたけど、
まさか
新神戸まで乗ったバスの
バス停が
駅の地面の下にある
トンネルの横に止まるとは
驚いた
駅の姿が見えない
運転手さんに訊いて上へ上がったら見えた
そして広島に向かったのでした
以前なら地図が得意だったのに
今回は神戸3連泊にて3日とも道に迷ってしまって
歳を実感
まずはこの年齢で初めて指摘された乱視
老眼鏡かけても乱視は乱視。外したらなお乱視で、
地図を見間違い易くなってました
そしていつの間にかNAVITIMEに頭が頼りすぎてた
どういう事かというと
ナビに市内のバスしか出てないとバスしか
頭になかったです
以前は前もって調べてない場合は
辺りを見渡したり
人に尋ねたりしてたのをすっかり忘れてました
そうだせっかく
広島まで来たんだから
市電に乗らなきゃあ
子供たち🧑👩が通学に利用してました
それで、市電でトコトコ。
やっと見れた
昔来たときは閉館日の確認を忘れて泣き(x_x)
ゆっくりと時間かけてドームを眺めました。
幼い子が見るには悲惨なシーンも
親に「子供さんに気を使ってください。」と
注意を呼び掛けてました
一瞬にしてすべての市民が染色体まで
ズタズタに切り裂かれた日
ひとりひとりの被爆証言は心に刺さりました
特に気になったのはひとつの家族がどう生きたかです
死を免れた人の人生の、
進行する病に伴う病状の苦しさと戦いながらも
仕事をしないと家族ともども食べていけない人生
すっかり痩せて、
のたうちまわるほどの痛みと戦いながらの仕事
そうやってお父さんが頑張ったのもつかの間、
立てなくなったお父さんに代わって
共に被爆した娘さん👩🦱が働くがそれでも
生活できなくて、
哀れんでくれた仲間からおすそわけをいただく
惨めな日々
一時は病院に入れて喜ぶも、
なせる治療なしで返され、
笑うこともなくお父さんは死んで行った
そのご一家をカメラが追って写したのです
激しい苦しみを抱えて働かなければならない
その厳しい現実に
思いを寄せざるを得ませんでした
世界中から人々が見学に来ていました
日本人の何倍もの人々が来て心に感じ入ってました。
それは嬉しかった
なんてやってるうちに実は
高速バスの時間が近づきつつあるのに
気付かなかったです。あやー😅
統一教会が起こした尾鷲の事故です。
統一教会員の居眠り運転、
これら他、数々の交通事故、
被害に会う事故が、警察は毎回調べてるのに、
誰も責任追及されないままです
本来はこれらを命じた直属の上司が罪に問われ、
遺族に謝罪をしなければならないのは
数年前の格安長距離バス事故を思い出せば解りますね。
ところが、これら統一教会の仕業は
上司もトップも謝罪せずにお蔵入りで時効になってます
何でか今なら解りますね
勝共連合に首を押さえられてた政府が
警察の捜査に圧をかけてたんです。
最近警察官が暴露しました
現に担当の警察署には数年間分とはいえ、
記録が保管されてるから
21年前の惨劇 尾鷲マイクロ事故で2名死亡 ある脱会者の亡くなった友への思い - 北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。
21年前の尾鷲マイクロ事故・・・慰霊の旅 - 北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。
ご存知原爆ドーム。
昔来たときは身近に見れました
一瞬で上から下までこれだけ
ドドーンと殺られた
凄さを身に感じました
でもね、今は柵が
何でこうなったかというと、
崩れ落ちた瓦礫を勝手に持ち帰る人がいたんです💀
わたしも
「持ち帰らないでください。」という注意書が
なければ
リアル現物欲しい人だけど😅
注意しても持ち帰る人が断たなかったので
こうなった
バラが満開。
沢山のボランティアさんの努力で
丁寧な管理がなされてました
この方々は
究極の戦争の災禍を伝える強い使命をもって
公園のお世話をしてるんだろうなあと
思いました
上は犠牲になった小学生3人の遺品で
尋常小学校の小学生の姿を再現してました。
人によっては
見るに絶え得ないない写真もありました
でもそこは
瞼を半分開けて記憶して欲しいものです
BACLCKEN MOZART CAFEで。
ソイラテとチーズケーキで
G7で首脳たちも座った椅子だそうです