2023.04.13
今日は辞めた病院の院長の告別式。会場は何と病院の中
それができるのが礼拝の場を備えた病院の便利な所です。
結婚式もできるけど
患者さんの入院してる所なので皆さん平服での参加でした。
明日は教会で家族葬です。
イースターの9日の夜に天に召されました。
悲しいけど、悲しみよりも、
よりによって復活祭
イエス様が天に上がる時にウルトラマンみたいに院長を高く上げて
シュワッと連れてったんかいな
熱心な院長らしいなあという思いがあります
院長は元々足が悪くて、左を引きずって歩いてました
これって、戦前生まれにとっては大変痛いネックでしたよ。
というのはネコも杓子も国防へと
(日本が口火を切った戦争だけど)
国をあげて駆られてた時代に役立たずのレッテルが付くわけです
そして終戦。日本がどこに行くか、
国破れて山河ありではなくて国破れて廃墟ありの時代に
焼け野原を眺めて、医者になろうと決心したと聞いてます。
それで人の命は助けられる、
だけど、生きる目的はというと空虚だったんです。
神風が吹くと言われてたその神風は吹くどころか、
特攻隊と散ったし、神国日本は滅亡。
心の頼りになるものは何もなし。
医学生の時に教会に足が向いて洗礼を受けたそうです。
そして希望のない人たちに希望を持ってもらいたいと、
土地柄の悪かった今の地に病院を建てたのだそうです。
それが解れば周囲に患者さんの散歩できる公園も
買い物を楽しめる店もない所に病院がなぜあるのか理解できました
わたしが薬剤師として就職してから知ってる院長は
本当に1日に3回も病棟回診、
朝イチに回診してから外来をやり、
午後に回診、夕にまた回診、
夜に患者急変や救急車が来ればいつでも病院に出て来る、
みんなの感覚では「院長はいつ寝るの」
という疑問がつきまとう程でした
職員から「あれが必要です。」と言われれば
「はい、どうぞ、買っていいよ。」。
患者さんから👦🏻「こうしたい。」
と言われれば「どうぞやってください。」。
これが湯水の如しでそのために出ていくお金が半端ないので、
それの引き止め役に弟の副院長がいたわけですが
経営は火の車、職員もたいへんでした
でもそれは院長の熱心によることが解ってたので、
みんな頑張りました。
多くの人が院長のお世話になりました。
かなり古くから体を痛めないで癌を治療できる方法として
佐藤療法という免疫療法を取り入れて研究してました。
今でこそ免疫療法でより良い方法が出てきてそちらが用いられてますが、
当時免疫療法を取り入れる所は殆んどなく、
全国から治療を求めて転院してきてました
わたしは薬剤師として、
他から転院してこられる方々の麻薬の量の多さにはビックリでした
だってウチでは免疫療法が効いててあまり必要なかったから
3度の回診の他に院長自ら病棟を廻って
天の喜びを語り、患者さんの手をとって祈って廻りました
もちろん信仰の関係で拒否する人にはしませんでしたが。
どの患者さんも「院長先生、院長先生」と
院長コールが凄かったのを思い出します
職員のご家族が亡くなると院長名で弔電を出し、
院長自らお花料を出して下さって弔問してくださりました
それを陰で支えたのが、
言葉が丁寧でお優しい奥様やボーイッシュな性格のDr.、
親のような貫禄のDr.。
礼拝室に沢山の花が飾られて
司式は普段から協力してくださってる牧師先生の司式で行われ、
🧑🏻「院長先生は神様の元で生きておられます。
みんなを見守ってくださってます。」
と語られました
仕事中の職員も皆献花に来てくれました
重症化率=60/9128×100=0.66%
一種間前は57/8573×100=0.66%
二週間前は67/6740×100=0.99%
三週間前は73/8523×100=0.85%
感染者数は増えてるけど、
重症化率はむしろ減少してまーす
良かったね
度々生け花の写真を撮ったここが礼拝室です
沢山の花が飾られて献花が行われました。
ホワイトボードは取っ払われましたよ
駐車場に咲くライラック・エスタースターレー。
お向かいのダイアンサス・ピンクキッズ。
日本でのミサイル問題がウクライナにも伝わりました
北海道へのストライクの脅威のために、避難が発表され、
人々はすぐに建物または地下に避難するように促され、
空襲警報が鳴りました(ビデオ内)。
韓国によると、ミサイルは千キロ飛んで、
日本の領海の外の海に落ちました。
ウクライナ・セイチャス