お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」
2023.04.10
今日も大好きな強風と広がる青空、気持ちいい
パブロと食事でお別れして、
パブロはウチの中へまたはコッソリお遊び。
わたしは何をして過ごそうかと思ったけど、
板橋区の最北端、荒川沿いにある花のきれいな浮間公園へ行こうと
頭で決めてたのがそんな時間がなくて、
隣の敷地で雑草とりしてました。管理人さんのOKありです
今日は主にドクダミ。去年ヤブカラシを抜きまくったんで、
抜けた後にわずか生えてたドクダミが延びてました
他人の土地なんであまり土をひっくり返して地下茎から
ってことはできなかったけど、
生え際とその上の2カ所を握って延びてる方向に真っ直ぐに抜くと
地下茎に付いてる所からスポンと抜けます
あわよくば地下茎もズルズルッとね
去年はヤブカラシ採ってたら通りがかりのおじさんが
「数年前に俺、ここを端から端までズーッとドクダミを抜いたんだ。
その頃はドクダミでバッサバッサだったんだから。」
と言ってました。
今年はそのドクダミ君復活ですか
ドクダミ抜くと面白いのは慌てて根っ子から八方に逃げ出す団子虫君
「ワ地震だ逃げろー避難だ」
それはそうと、あ、今日はお題を書くんでしたっけ
1回目ですねはい、死ぬかと思った経験No.1。
手術直後に死ぬところでした
父が前立腺癌の末期で東京のわたしの職場に入院しました
その頃診てもらってた癌研究会病院(今の有明病院)に
入院できなかったので職場に入れてベッドだけ使わせてもらいました
その前にパブロのお父さんが倒れて職場に入院してたので
パブロとふたりで双方の父親同時介護となり、
そんなときにわたしに下血が大量に起こるようになりました
職場には産婦人科は無いので、
もちろん他の病院で見てもらいました。
わたしは考えました。
「症状に出てるから、子宮癌ならわたしも末期。
院長に頼んで同じ部屋にして貰って、どっちが先に往くか判らないけど、
最後まで父を励ましたい。」
これはホントの決心だったけど、クライマックスはそのあとです
結果は出血性の子宮筋腫。
義父は10月に天に召され、そのあと実の父は
一旦は放射線治療のためにがん研に入院したものの間に合わず、
12月末に母と一緒に当時発足したばかりの民間救急で故郷に送り返し、
あとは兄妹親戚に任せてわたしはトンボ返り。
自分の入院までの間に自分の職場の患者さんの飲む薬を
毎日10時頃まで残業で作り続けて某大学病院に入院となったのでした
その間の手術待ちの期間に父死亡の連絡あり。
母は葬儀の喪主なのでわたしの付き添いはできません。
義母が部屋で付いていてくれました
手術自体の所要時間は30分。
麻酔が効いてからは全く記憶ないけど、
麻酔を解く注射を打つ直前辺りから記憶が戻り始めて、
パッと覚めたらグググッ息できない
くっ苦しい(><)
酸素マスクとってくれー
と叫ぼうにも声がでない💀
気が遠退きそうだ
目が白目むきそうだ
ウウウッこ、このまんま死ぬか
死んだら田舎の父と一緒の葬儀かなあ
いろんな光景が浮かびました。
職場で「元気になってもどってきて。」と送り出してくれた仲間たち、
教会で成功を祈ってくれてる人たち、家族、親戚。待てよ
このまま死んでたまるか
手術室から義母の前に
ご遺体様で帰ってたまるか
師長や院長先生の所に
遺体となって帰ってたまるか
ベルトで固定された両手首を思い切り満身の力で
ガタガタ動かしたら執刀医の先生がやっと
「あっ」と気がついてマスクを取ってくれました。
ハアー息が吸えた生き返った
と言うわけで、何事もなかったように病室に戻ることができました
これって、先生にとってはインシデント(事故未遂)に当たるし、
わたしが死んだら裁判ものです。
でも、わたしはこの事を誰にも言いたくありませんでした
これまで職場で命の現場に立つ医者の苦労をたくさん見てきたから。
医師が失敗したときの深刻さが解るから。
先生頑張れの気持ちがいっぱいだったから。
救急車で運ばれる患者さんに救急救命の努力を見てきたから。
それに、医者が訴えられた時の医者への保証は当時は何もなかった
わたしの手術をしてくれた事に感謝が大きかったので。
10年間誰にも言いませんでした。パブロにも。
昔手術の度に「成功率○%です。」と患者さんが言われてた頃の
ドラマの影響で手術は恐いものと思って育ったのに
教会で神様に出会ってから死が怖くなくなって、
人生始めての手術で死ぬかという経験をしたのが懐かしいです
一週間前は3224人でした。
草むしりの前です
このハート型のドクダミを生え際とその上を握って、
大根を抜くように真っ直ぐに抜きました
お隣のマンションの横には
ベニバナアセビが花を咲かせてました
ハッキリ色が分かれた源平椿。白勝て、赤勝て
⚡️ウクライナはロシアの捕虜から100人を返してもらいました。
これはOPヤーマクの長によって発表されました。
解放された人々の中には、軍隊、船員、国境警備隊員、州兵がいます。
ウクライナ・セイチャス