2022.07.01
あちーち、ち、ちこりゃあたまらん(×_×)
ふたりでお昼に外出たら、
オーブンの中を歩いてる(×_×)
デッカイオーブンの中を(×_×)
ふたりともステーキのミーディアム。
感覚ではウェルダムだけど、
ウェルダムでは生肉部分が失くなるからミーディアム
皮膚がパリパリに焦げそうです(←タバカチキン1丁できあがり)
はい、ジョージア料理のタバカチキン😋
ただで食べさせてもらうにはジョージアのレジャハ大使または
料理人と仲良くなること
ニュースに「なぜセミが鳴かない」ってのがあって、
「梅雨明けが早かった」、そう言えば6月で終わりって初めてかも
まだ7月入りたてですぞー
8月はどうなるんや
VIE DE FRANCEは駅ナカだけど、
何名か、駅の入り口近くなったら暑さから逃げるように走り出して
駅に走り込んでましたそれから急ぐ訳でもないのに
わたし、またもやニュース読みながら、
「パブロ、これからは外にスマホ持ち出すときは
スマホを冷やすソフトをダウンロードしといた方がいいよ。」
「どうやるんだ」
「わたしはGoogle Playからスマホクーラーをダウンロードして
一番気に入ってるけど、
重くなった速度を速めたり、ゴミを捨てたり出来るよ。
実際に手に持ってて冷えるのが判る。」
「解った。」
かつて中国製の品質の悪いのがどこそこ関係なく
火を噴いたもんね
ポケットから火出られては困るもんね。
あるブロとものブログ読んでて、
帰省して親の写真をスマホで撮ってたときに
ふと思い出した事があります。
両親から何度も昔の事を聞きました写真も見てました。
でも、この歳でやっと解ることもあります
母の写真がまとめられてたので母の写真だけで手一杯。
ナースとして生きた母の姿は
わたしの心に強く印象づいてます。
普段は親は親らしくあらねば、妻は妻らしく()あらねばと
頭では考えてたけど、
嫌いな医師からつるんで逃げた話や
同僚と映画など楽しんだ話をするときは、
思いっきりキャーキャー笑って若い少女に帰る母でした。
お祖父ちゃんは「女学校へ進学していいぞ。」と言ってくれたけど、
どうしても従軍して怪我した兵士を助けたいと思ったので
従軍看護師の道を選んだそうです(そっちの方が進学費用は安い)。
先輩たちは繰り上がり卒業で戦地に出ていきました。
戦争が続いてたら母も繰り上がり卒業だったでしょう。
が、その前に敗戦となって、しばらくは途方に暮れて過ごし、
その頃に洋裁を習ったそうです。
わたしのパンツやワンピースも作ってくれたし、
小学校の仮装でハンティング帽も作ってくれました
看護師の後は保健師として役場に働いて、
定年退職後は精神障害を持った人の社会訓練施設で、
あくまでも人の命や人生に関わる仕事に
生き甲斐と使命を持った母でした。
わたしにも
「女医になれ。それがダメなら薬剤師に
なれ。それがダメなら看護師。」
と何度でも言うので、
「耳にタコが8個もできた」
「女医にも薬剤師にもならん」
と反発した時期があります。
が、母がどんなにか命の職種を大切に思ってたか知ってたので、
「何で自分の誇りの看護師が最後なんや」
って思ってもいました。
その母は人生最後の病気、間質性肺炎を宣告された帰り道、
田舎の病院の玄関を出てすぐにわたしにメモを見せて、
「ほーら、お母ちゃんの予想当たってたろ。」
そのメモには
ベラクロ・ラ音はテープの剥げるような音から
セロテープ開発メーカーのベラクロ社の名を付けた症状名です。
聴診器を当てると肺から聞こえる音で、
今はファイン・クラックルと言います。
母が「肺移植するんですかね」と訊くと主治医は驚いて、
「お母さんはお歳ですから
そこまでしなくてもいいですよ」
と言いました
完治させるには肺移植しかありません。
そうきたか質問する方はさすがー
ナースも高度に勉強しないと覚えられないです。
それに返した主治医の返事、上手く答えたようでも、
「このまま死を遅らせるだけ。」
という意味がありますよー
(↑そう言われて泣かないさっちんもさっちんだよ)(←あら、そうかい)
「村の運動会の医療班やってくれんかのう。」
と言われると喜んで奉仕した母、
家の中でも医療の知識をフル活用し、
看護の知識フル活用で家族をも看護した母、
弟たちの怪我の看護もした母は心の底からの看護師でした。
今日の東京3546人、大阪2135人、沖縄1543人、
神奈川1519人、全国23420人。重症52人、亡くなられた方15人。
各々方、増えておりますぞ
たぶんアロエ クロスビー。葉っぱ見てくだされ
うわー美人でしょ
初めてこの写真見たときは感動。
わたしが結婚式でウェディングドレスに化粧を施してもらったとき、
初めて自分をこの親そっくりと思いました
(但し、わたしは化粧してのことですが)。
村の演芸会でこんな格好してたんですか船長役です。
生まれ変わった日本の明日を担うピカピカの看護師
年は18か19頃。
いたずらっぽくて可愛い
今一緒に働いてる娘たちと同じ年頃かな
ウクライナの子どもたち。お弁当をもらって嬉しそうです。
子どもたちはどんなにか傷ついてることか。
でも、瞬時に屈託のない笑顔を見せてくれるのも子ども達ですね
ロシア政府は善意の印と言ってますがね。
その実態は後半から判って来ます
ロシア軍、黒海のズミイヌイ島から撤退 「善意の印」 - BBCニュース