2022.03.20
今日は教会への出発時間にほんのわずか遅れてしまいました。
ほんのわずか遅れただけと言っても、
あわてて礼拝堂に入ってしばらく心臓ドックンドックンなことは
やりたくないので、家でネット礼拝することに。
午後からは聖歌隊の練習のために教会に向かいました。
N老先生の最後のメッセージでした
自分から進んで良いことに励むのも心地よいことだけど、
良いことをするために選ばれるのって嬉しいですね
N先生もわたしも自分でクリになったわけではないです
また自分で牧師に、病院薬剤師になったわけではないです
N先生は証券マン、わたしはカルト信者。
メッセージはN先生の生まれたときから語られました
神戸に生まれて空襲の毎日、
小学生2年生で家族と別れてお姉さん👧とは別々に集団疎開、
お父さんとの再開、教会に行き始めて………神学校……いくつかの教会で
牧会、そして荻窪が一番長くなりました。
わたしもN先生が来られた時を昨日のように覚えてます
それまでのわたしの教会は破壊的カルトとの戦いで、
家族が統一教会に入って反社会的な活動にのめり込んで
困ってるご家族の相談を請け負ってました
静かな教会のイメージなんて、カラッキシですよ
日本中から飛行機に乗ってご家族が来るので、
礼拝堂だけでなく下のロビー、
更には牧師館までギッシリと歩く場所もないぐらいに
詰めて礼拝してました
必ず統一教会の車が角に止まってて、
来る人の様子を伺ってるんですね。
敷地内に流れ込まれたこともありました
礼拝をジャマされたことも
2代前のこの戦いの先駆け、M先生が一緒に情報交換してた韓国の先生が
韓国内で車を爆破されて亡くなり、私は日本のニュースで
それを知らされました
そのM先生が入院生活になってしばらくたって
N先生が来られた時は、
ご家族がようやくの思いで統一教会から連れ出した娘さんが
マンションの5階から飛び降りて、
幸い下に荷物を積んだトラックがあったので
数カ所の骨折という大怪我で済んで(たったの大怪我)、
救急車で病院に運ばれた時でした。
病院に統一教会員が押し掛けないためにも
ご家族が院長先生に事情をお話しして、
病院の協力も得られました
その娘が間違いが解ってまもなく
N先生が見舞いも兼ねて来てくださいました。
N先生にとってはカルト脱会者との出会いはそれが初めてで、
どんな気持ちでいるか解らなかっただろうし、
来るときの気持ちは楽ではなかったと思います
その娘のケガは完全に治って故郷に帰っていきました。
今もわたしは彼女と年賀状のやり取りをしてます。
N先生ご夫妻は今後講壇には立たないで
わたしたちと共に礼拝を持つことになります。
何か後半は物騒な内容になってしまいました、スミマセン
今日の東京6502人、神奈川4371人、埼玉3323人、
大阪2908人、全国44611人。重症955人、亡くなられた方126人。
最後に喜ばしいニュースを見つけました
ウクライナから脱出の78歳男性、北海道に無事到着 家族と再会 | 毎日新聞
ミモザの季節ですね。
玄関口でお出迎えの生け花。
我がマンションの横でヒイラギナンテンの花がほぼ満開です。