2022.09.04
台風はまだで、今日は雨が降りませんでした。
少し涼しくて動けば少し汗かいて2週間教会に行けなかったから、
みんな久しぶりの感覚になってしまいました
何年も通ってる教会はわたしにとっては我が家みたいなものです
そんなにあちらこちらの奉仕をやってないから、
知らないことも多いけど。毎日顔合わせてもお互いを理解としない、
仲良くなろうとしない同士よりは、
たまに逢うだけのわずかな時間でも理解の努力、
許しの努力のある関係はいつもその分はホッとします
また、子供と遊ぶのは可愛いけど教えたりするのは苦手で
教会学校に関わってこなかったわたしに
子供たちは最初は懐かなかったりするけど、
数年いるといつの間にか
その子たちの認識にわたしの存在も加えてもらってるんです
自然に会話できる、それも嬉しい限りです
今回は2年ぶりに子供たちが対面で
キャンプを無事に済ませられたという報告がありました。
子供連れで来てる若夫婦も若干いて、
姿を見るだけでも楽しかったです
子供たちにとっては毎日教室で会う様々な生活スタイルの友だちと、
オギャーと生まれた時から週1回会って遊び、
同じ勉強をし、同じ神様の事を語り合う友だちがいます
学校生活を見てくれる先生と、
心の問題や私生活を見てくれる先生がいます
親や学校の先生方に愛されながら、
それ以上に強く深く広く愛してくださる方を
教えてもらって育ちます
わたしは教会に来たときに、
ここの子供たちは恵まれた環境にいると感じました
もちろんわたしの両親は
わたしを命かけて愛してくれました
しかし、わたしは他の親たちの現状や離婚、
世間の負の風潮も受けて育ったんです
学校で苛められた時期があったけど、
もしそれで登校を拒否したらウチの親🧑は
🧑「ああ、そうなの。」とは簡単にはいかんだろうなと思いました。
最初は絶対に叱られる、ただでさえ辛いのに、
叱られて無理にでも行かされると思いました。
世間では不登校が問題にすらなってなかった時代だから。
だから、わたしにはトコトン許される自信などなかったし、
それを教えられて育つ子供たちが羨ましかったですね
教会で出会う子供たちの
屈託のない伸び伸びとした笑い顔はわたしにとって癒しです
今日のメッセージです
詩篇 57:1-11 口語訳
これは誰の詩かというと、
何と、イスラエルの実在の国王の詩です。
イスラエルに行って大学で歴史を研究したなら絶対に出てくる
有名な国王、2代目の国王、ダビデ王です。
ルーブルの像ではないですよ
ダビデ王は最初は順調な人生でした。
ペリシテ人との戦いの最前線にいる戦士のお兄さんたちに
弁当を届けに行った時に
ペリシテの勇士、体も巨漢なゴリアテと命かけた勝負をすることになり、
甲冑を身につけ、武器を振り回すゴリアテに
ダビデは普通の服を着て石と石投げを持って立ち向かったのでした。
それが日頃彼が羊を守るために
ライオンを倒す道具だったので。
彼の投げた石は見事ゴリアテの眉間に命中し、
それがサウル国王の目に止まり、城に召し上がられました。
しかしすぐにサウルの妬みをかうようになりました。
剣の腕を上げ、戦いの度に手柄を立てただけでなく、
サウルより活躍したからでした。
ついに命を狙われるようになり、親友のヨナタン王子の手引きで
たったひとりで城を逃げ出したのでした。
それからはダビデの苦難の日々が始まります。
相手は国王、どこに逃げても逃げても王の部下がその地を治めてる。
追っ手が殺しに来るのです。
ダビデを見つけて通報する人もいました。
時代は王が先陣切って戦う時代、
日本よりも小さな国で、サウル王自ら殺しに追ってくるのです。
勇士だったダビデは周りの国から見れば憎き相手。
遠くに逃げることはできません。
ついにかのペリシテ人の国に逃げ込まなければならなかったときには
狂人の振りをしてペリシテの王の前に差し出されました。
あのゴリアテを殺したと知れると命を取られてしまう。
ダビデは口からよだれを垂らしながら
必死に狂人のふりをやってのけたのでした
ペリシテ王の「役立たずのこやつは追い出せ。」と言う言葉で
追い出されて生き延びました。
サウル王が戦死するまでの数年間、
最初は信頼できる味方は誰もいませんでした
この話は当時から王の横には王のやったこと、語ったたことを記録する
書記官がいて書きとどめた信頼ある歴史書からです。
この今日の箇所でわたしは泣けました。
なぜかというと、他の人との間の悩みごとなら
聞いてくれる人はいるけど、
Yさんとのことになると親しい間柄ほど
感動的に親切なYさんが身近な人の言葉を間違って理解し、
間違った注意を飛ばして相手を怒らせることが解らないため、
反ってわたしの方が悲しい思いしてしまうからです。
Yさんは落ち着いてるときには
周りの人に何でも喜んで手助けするし、
わたしも助かることがいっぱいなんだけど、
落ち着きがないと言葉の理解の間違いを犯すのです。
いや、悪い言葉と知らないで覚えてきた言葉を出すんです。
「さっちんはコロナにかかったのを病院のせいにするの
わたしは病院のせいにしたくない。」
わたしが「どこで感染したかわからないけど、
師長が『患者さんに熱が広がってるのが心配だ。』と言ったとき
まだ誰も防護服を着てなかったからあの頃かなあ」
と言ったらこの質問が出たんで、
「何言ってるのほぼ同じ頃に他の職員もかかったじゃあない。」
と言い返したけど、
彼女がわたしを悪く思って言ったのではないので、
かなりムカついたけど
ウ~ウ~グァ~マン(我慢)
グァ~マン
で体をよじらせて爆発しそうな怒りを止めたんです。
こんなことが日々あるのでストレスはその日のウチに解消しないと
たんまりと小高い山になってしまう
だけど、病棟ナースにとってはYさんはありがたい存在になっていて、
そんなことが信じられない、むしろわたしが大人げないと感じていて、
隣の医事課のメンバーは薬局の面倒なことは聞きたくもない、
内科のAさんは以前はお昼に
親の看護を巡る兄妹のバトルロワイヤルに挟まれたわたしの苦しみを
毎日聴いてくれたけど、
今は昼時も私語が大嫌いなDr.とDr.がいるので話せない。
本当にYさんとのコミュニケーションのズレを話せる人はいないんです。
忍の1文字ではわたしの心が持たないけど、
メンタルのカウンセラーの先生からも
「ひとりひとりがまったく違うので、
これがいいっていう対処方法が決まったのがないんですよ。
いつも一緒に仕事をするのではなく、
距離を離す事が一番いいですね。」
と言われました。
ダビデも日々狙われる苦しみ、
こんな苦しみを誰にも言えないからなお苦しい。
それを味わったんだなあ
その身を神様に委ねたときに心強く立つことができた。
わたしも強くありたい。
ダビデはその後王となって国に安泰と発展をもたらしても
まだ物凄く大変な事が続きました。
部下の裏切りや息子の反逆、
王の平安と喜びは神との交わりの中だけにあったんですね。
ウチもそうですが、コロナについては
どこも今は互いに慰め心を休め合う余裕なし、
みんな体力の限界で働いてます
コロナで介護現場危機 クラスター多発 危険手当・助成金は? | NHK | WEB特集 | 新型コロナウイルス
今日の生け花です。
近所のご家庭の庭に
アサガオの壁ができました。
小さな公園にヒマワリ兄弟が咲いてました。