2021.12.24
今日の夜は教会でキャンドルサービスがあって、
わたしも歌います
どんなに希望のないときにも消えることのない
救い主キリストの希望を表す灯りを灯し、
ウチの教会ではキリストの誕生を
順を追って歌っていきます。
集まる人たちはそれを聞きながら、
目の前のキャンドルを眺めながら、
キリストがなぜ、どのようにして生まれ、
何をし、なぜ殺されたかに思いを馳せます。
イエス・キリストは確かに
その姿はわたしたちと全く変わらないお方だから、
釈迦と比べられるのは仕方ないです。
が、驚かないでくださいねその本質は
まったく汚れのない父なる神と一緒に
宇宙の隅まで作られたお方です
その方が何とわたしたちが
何の躊躇もなく
父なる神様の懐に飛び込んで
それまでやって来たことを
ごめんなさいし、
喜び、涙し、子供のように
甘えて
安心していられるようにと、
わたしたちの代わりに
罪を追ってくださった
それが十字架なんですよ。
イエスは人の罪のために殺されると
預言されて生まれました。
そして人生の終盤を十字架に向けて歩まれた。
病気の人たちを癒し、希望を与えながら。
以前Sさんから
「クリスマスソングと言えば、山下達郎知ってる」
と訊かれて「知らない。」と答えたら
「えーっ
こんな有名な歌、
知らないの
クリスマスの有名な歌だよ
このシーズン
どこの街でも流れてるよ」
と返されて逆にこちらがびっくり仰天
勤務してるわたしの病院はキリスト教主義で、
このシーズンは毎日クリスマスソングなのに、
聴いてないの
びっくりのあまりについわたしも
「クリスチャンの
クリスマスは
年末の仕事の追い込みで
クルシミマスの上に
家でも仕事でも
クリスマスの準備に追われて
世間の歌を聞いてるひま
ないの。」
と即答。
彼の機嫌を損ねてしまった失敗談があります
でもこれは、ほんとのことです。
彼に言った言葉は反省して、
改めて聞いてみたら気持ちの清々しい歌ですね。
彼女を待つイライラを歌ってるようですが、
彼女が来なくても、いるだけ幸せというものです
でもそんな幸せなカップルが
イルミネーションの町で幸せ奏でてる反面、
クリスマスに寂しい人もいますね。
実はイルミネーションはただの飾りではありません。
キリストの揺るがない希望を表すために
木にろうそく灯したカンテラを飾ったのが最初。
それがろうそく形の電気となり、
様々な形ができると街中に飾られて、
今のようになったんです
もちろん日本では商売が目的。
クリスマス大嫌いな
皆さん。
イルミネーションの最初は
寂しい、悲しい皆さんのため
にあったんですよ
街に溢れてるツリーはほんとの意味が空っぽです。
空っぽのツリーをバックに写真撮ってる
リア充だらけのクリスマスを見つめて
寂しく過ごす必要はありません。
イルミネーションのほんとの意味は
あなた方が気持ちも人生も
神の愛で暖まって、
生きる目的に溢れるためです
わたしの教会にもクリスマス嫌いがいました。
今は過去から変わってしまった彼女を
好きになる人が与えられて、
神戸で幸せを得てます。
リア充だけを照らすイルミネーションを見つめて
悲しむのはやめませんか
ホントの愛からのツリーが飾られてる所が
日本には今はたくさんあります。
第二次世界大戦が終わるまでは
堂々と許可されなかった。
今はどこでも誰でも行けますよ
戦時までは日本の考えではないだけで
監視されました。
今の思想警察、公安警察は
昔の特別高等警察みたいに追いかけては来ませんよ。
リア充を羨むの止めて、
どんな自分でも見捨てられない愛に集まりませんか
友人から手作りのプレゼントが届きました
スマホポシェットがすごく使いやすかったです
Wさん、ありがとう
自分の教会でのキャンドルサービスの前に
立ち寄ったペットショップで出会った子猫ちゃん。
2カ月目だそうです。
その近くにあるいつも仲良く交流してる大きな教会です。
重い手荷物持って歩きながら歌ったんで画像も声もユラリンコ。